ほも、26歳。

ほも。26歳。ダメ人間。

どうしようもない未来予知

 

たまに、未来予知をすることがある。

 

いや別に自分に超能力がありますよとかそういうユリゲラー的な話ではない。

ただ、ある時ある瞬間に自分の未来の姿が見える瞬間がある。自分はこうなってしまう。自分はやがてこうなるだろう。生々しいほどに湿り気を帯びた輪郭が、不意に頭の中にズトンと落ちてくる瞬間である。

 

職場に、嫌な人がいる。

 

年齢は私の父親よりも上の、白髪のおじさんである。

最初に会ったときの彼はきちんとした挨拶を返してくれる、ちゃんとした人だという印象だった。しかし、一緒に仕事をしているうちにそれはほんの表層の部分であることが分かってきた。

 

まず人と関わろうとしない。仕事をするうえで人と関わるということは苦手であっても避けては通れぬ道ではあるが、彼は本当に必要最低限かそれ以下でしか他人と関わろうとしない。私と二人っきりであっても一言も会話をせずに、気付いたら休憩に入っていて気付いたら戻ってきているなんてしょっちゅうである。

 

また、彼は文句を言わない。

私に何か至らぬ点があったとしても決して文句を言ってくることはない。

それだけならいいのだが、彼は文句は言わないのに〝文句がありますよ感〟は全面に押し出してくる。言いたいことがあるなら言えばいいのに、私が察するまで不機嫌な様子で物にあたり散らしたりする。めんどくさい彼女のようである。

 

他にも彼に対しての文句は湯水のように溢れてきて、なんなんだこの人はといつも不満に感じているのだが、ある時ふと例の〝未来予知〟が自分に振ってきた。

 

彼は、自分の30年後の姿だ。

 

よくよく考えてみれば私も上記のような行動をよくやってしまっているではないか。人間嫌いと焦げ付きまくった自意識のせいで、そんなことをしでかしてよく自己嫌悪に陥ってしまっているではないか。

 

今はまだ若さでなんとか誤魔化せているかもしれないが、このままいくとお前の未来はそこにいる面倒くさいおじ様だぞ。

 

ああああああああああああ。

 

雷に打たれたような衝撃だった。

想像に難くなさ過ぎてくらくらした。

 

私もいつかの未来、若い子に「職場にめんどくさいおじさんがいてさァ」なんてことを言われてしまうんだろうか。あぁ。それはちょっと嫌かもしれない。

 

せめて「めんどくさいおじさん」ではなく「ちょっと変わってるけど気のいいおじさん」くらいに言われるよう、今のうちから人格を修正していきたいと思う。

 

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さて、そんな自意識焦げ付きマシーンの私ですが、最近ポッドキャストでラジオ番組を配信し始めました。このブログよりもさらに焦げ付いた自意識を披露しては後で赤面しながら布団を転がっております。

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iTunesで配信しておりますので是非よろしくお願いいたします。

 

 

大量の水

 

お久しぶりのブログです。

 

近況報告といたしましては、わたくし兼ねてよりずっと書いておりました小説というものがありまして、それがようやく完成いたしまして、初めて物語を書いた「耳をすませば」の雫ちゃんさながら

 

「ウソ! ウソ! 本当のことを言って下さい!」

「書きたいことが、まとまってません。後半なんかめちゃくちゃ!」

「自分で分かってるんです!」

 

とか叫びだしたくなる気持ちをグッと抑えて、賞というものに応募いたしました。

 

何か引っかかってくれればそれほど嬉しいことはないでしょうが、たぶんそんな甘いものではないと思うので、全然駄目であるということを念頭に置いて、これからもチクチクやっていこうと思います。

結果は10月。待っている間にもどんどん書いていければと思います。

 

          *

 

最近、散歩をしていたら近所に大きめの川があることを知りました。

二年近く住んでいたのにこんなこともしらない引きこもりな自分にドン&引きでしたが、それと共に思い出すことがあったので四コマ漫画にしてみました。

 

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はい。

 

大学生の頃、出会い系の掲示板で出会った人なんですが、メールの時点でちょっと普通の人とは違うな……という感じはしていました。

 

いざ会ってみると浅黒く焼けていて筋肉隆々、首には金のネックレスというたいへんパンチのあるビジュアルのお方が登場。

 

その人は占いを趣味としてやっているらしく、私の生年月日を聞いてきました。

私が答えると、渋い声で一言

 

「君は大量の水の近くに住みなさい」

 

なにそれ……こわ……。

 

まぁ詳しく聞いてみると、海とか湖とか川とかそういった場所の近くに住むと水の波動的な何かによって運がよくなるのだとか。

そして彼はおもむろに薄いピンク色の玉を私に渡してきました。

 

「それはサンゴを削って作られたお守りだから、持っておくといい」

 

なにそれ……こわ……。

 

四コマでも描いたとおり、あまりにインパクト強すぎな人で私の手に負えない!と思ってすぐにブロックしてしまいましたが、サンゴのお守りはしばらく財布に入れていましたし、数年がたった今でも「なんか上手くいかないな~」みたいなときは海やら川やらを眺めに行ったりしてしまいます。

 

人間、何気ない言葉に呪縛されていることってよくありますよね。というお話でした。

 

 

 

 

 

(そういえば母親も「運気が上がる絵画」やら「金のなる木の像」やら「鯉の滝登りの掛け軸」やら何かと買っていたような気が……)

狂気と折り合いをつける

政治と宗教と野球の話はしちゃいけない。

 

いろんな思想があるので軽い気持ちで話題にしてしまうと、相手がまさかまさかの論を振りかざしてくることにもなりかねないので気をつけなさいという、昔からおじさんがよく言っている言葉だ。

 

私は単純に野球も政治も宗教もわからないので話題に参加しないようにしているが、年齢を重ねていくとなかなか避けて通れない時もある。

 

とくに宗教の話は、触れてはいけないというくらいのタブーであると

それが日本全国の常識であると私は常々思っていたのだが

そういうわけでもないのだと最近思い知らされた。

 

仲のいい友達が、某宗教をのことを勉強できるナイトというものに行ったらしい。

その話を聞いた私は、正直サッと引いてしまった。

そういった場は宗教というものにドはまりした人たちが行くものだと思い込んでいたので、もしかして今まで仲良くしていた彼が宗教にどっぷり浸かっていたのか? と考えると思わずゾッとしてしまったのだった。

 

しかし彼はそういった宗教に入りたいということではなく

実際彼らはどんな人たちなんだろう?という単純な興味で

そこに行ったというのだ。

結果的に彼は普段聞くことができない宗教団体の関係者たちの本音を聞くという

貴重な経験をして満足そうだった。

 

私は、宗教というものが苦手だ。

何か一つのものを崇めてただひたすらに信じ込むということは狂気だ。自分のために神様があるという考え方は傲慢だ。

それに彼らは祈りを大切にし、努力を蔑ろにする。

努力をし、それに見合った結果を得た人たちに向かって

「神様にお祈りしたおかげね」などと言う人がいるのはどうなんだろう。

 

とかいう文句をその友達とまた別の友達にしたのだが

彼らはう~んといったような顔をして

「でも本当に辛い人がそれに支えられてるんならいいんじゃない?」と言った。

 

そこで改めて私は心底自分が現実に向き合うのが嫌いなんだなぁと気付かされた。

政治と宗教と野球。これでもかというほどの「現実」が詰まった話を

私は意識的に避けてきた。アニメや小説や映画が好きなのもそれが影響していると思う。

でも、そんな現実たちと向き合ってきた人は

自然に狂気と向き合っている。

漂ってくる狂気に折り合いをつけている。

 

現実が嫌いな私は、何も知らずに

極端な論を振りかざす化け物になってしまった。

 

現実は、狂気だ。

 

それを肌で感じて、無意識に寄り添う方法を

私以外の人たちは知っている。

 

私は、何も知らない。

 

 

 

幸の薄さは武器となりえるのか

最近、いろいろありまして

いろいろいろいろいろいろあって

現状なにもうまくいってないままダラダラ毎日が過ぎ去っていきまして

その惨憺たるうわあああああという思いをどうしたものかと考えた結果

そういえば前にブログをやっていたなということで

またこうして頭の整理のためのブログを始めることにします。

 

前にやっていたブログはなんとなく

人に見られるものだということでちょっとかっこつけたことを

書いていたのですがこのあいだテレビで

田中みな実が夜な夜な鬱屈した思いを

流れとか構成とか関係なしにとにかく文章にして打ち込んでいると聞いて

うわっこの女やばいやつやと思いながらも

それいいなと思ったので今回はそう言った自分のためのブログにしようと思って

ブログのタイトルも変えました。

 

 

6月に仕事を辞めました。

社会に出ることは大人になることはいろいろなことを身に着けて

人間として成長していくものだと思っていましたが

実は「社会人」という型があって「大人」という型があって

そういうクッキー型のようなものを会社はそれぞれで持っていて

大人になるということはその形に自分を変えていくというものでした。

もちろんその型はきれいでその形になることさえできれば

自分ははたから見ればそれなりの人間になれたことと思います。

でもどうしてもそれが当然と思っている会社も社員も同僚も先輩も上司も後輩も

理解することができず、理解していますよという顔をして

しばらくはやっていましたがだんだボロが出て見つかってしまい

「お前は本当に考え方が子供だな」と言われ続け

ちょっと疲れてしまったので、後先のことは考えずに辞めてしまいました。

確かに私は、大変に子供なのだと思います。

 

そういうわけで現在新たな職探しをしていますが

また同じことの繰り返しになりそうで

私は社会を拒否したまま転職活動をしているので

社会もそれを見抜いて私をそっと拒否します。

 

同い年くらいの友達が仕事を辞めました。

また新たな職を探すのかと聞くと

やりたいことをやることに決めたから働かないと言い

また別の友達は次男だからフリーターでもういいやと思っていると

つぶやきました。

どうして決めてしまった人はあんなに美しいのでしょうか。

私は何も決められず、動けず、ただ一日が過ぎるのを

恐怖しているだけの中途半端なおばけです。

 

うすぼんやりとした不幸。

私の人生はそんな霧のようなもので覆われています。

エピソードとしての不幸もたくさん経験しましたが

そういうことではなく、線で不幸を感じます。

そんな不幸が私の人生にはつきまとっているのですが

彼らは敵じゃないのだと頭の奥で誰かが言っているような気がします。

 

欲を言えば作家になりたいのです。

夢を語れば小説を書きたいのです。

でも私は今の私は時間があるのに何も書けません。

私の人生は宝くじを買わずに「当たらないかなあ」とか思っている

そんな感じがします。宝くじ当たりたい。

 

同じ年くらいの若い人たちが

クリエイターとして音楽や映画やデザインや漫画やアニメやなにやら

いろいろいろいろいろいい作品を作っています。

それを目の当たりにすると

私はまた「おいて行かれた」という気持ちになります。

 

美しい人生を歩んだ人にいい作品ができるものか

私の持つ不幸こそが武器なのだ。

そういう私のことばは負け惜しみじみています。

 

美しい人生を歩んだ人の描く物語は

美しい人生を歩んだ人が描いた物語になって

それはそれで人に愛されるものになることでしょう。

 

でも私の人生はそうじゃない。

美しくないべちょべちょの砂場のような人生だから

不幸にまみれた薄汚い人生なのだから

お前はその不幸を振りかざして

戦っていくしかないのだと、誰かの声がした気がします。

 

あああああ。

 

よし、カレー作る。