読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ほも、26歳。

ほも。26歳。ダメ人間。

幸の薄さは武器となりえるのか

最近、いろいろありまして

いろいろいろいろいろいろあって

現状なにもうまくいってないままダラダラ毎日が過ぎ去っていきまして

その惨憺たるうわあああああという思いをどうしたものかと考えた結果

そういえば前にブログをやっていたなということで

またこうして頭の整理のためのブログを始めることにします。

 

前にやっていたブログはなんとなく

人に見られるものだということでちょっとかっこつけたことを

書いていたのですがこのあいだテレビで

田中みな実が夜な夜な鬱屈した思いを

流れとか構成とか関係なしにとにかく文章にして打ち込んでいると聞いて

うわっこの女やばいやつやと思いながらも

それいいなと思ったので今回はそう言った自分のためのブログにしようと思って

ブログのタイトルも変えました。

 

 

6月に仕事を辞めました。

社会に出ることは大人になることはいろいろなことを身に着けて

人間として成長していくものだと思っていましたが

実は「社会人」という型があって「大人」という型があって

そういうクッキー型のようなものを会社はそれぞれで持っていて

大人になるということはその形に自分を変えていくというものでした。

もちろんその型はきれいでその形になることさえできれば

自分ははたから見ればそれなりの人間になれたことと思います。

でもどうしてもそれが当然と思っている会社も社員も同僚も先輩も上司も後輩も

理解することができず、理解していますよという顔をして

しばらくはやっていましたがだんだボロが出て見つかってしまい

「お前は本当に考え方が子供だな」と言われ続け

ちょっと疲れてしまったので、後先のことは考えずに辞めてしまいました。

確かに私は、大変に子供なのだと思います。

 

そういうわけで現在新たな職探しをしていますが

また同じことの繰り返しになりそうで

私は社会を拒否したまま転職活動をしているので

社会もそれを見抜いて私をそっと拒否します。

 

同い年くらいの友達が仕事を辞めました。

また新たな職を探すのかと聞くと

やりたいことをやることに決めたから働かないと言い

また別の友達は次男だからフリーターでもういいやと思っていると

つぶやきました。

どうして決めてしまった人はあんなに美しいのでしょうか。

私は何も決められず、動けず、ただ一日が過ぎるのを

恐怖しているだけの中途半端なおばけです。

 

うすぼんやりとした不幸。

私の人生はそんな霧のようなもので覆われています。

エピソードとしての不幸もたくさん経験しましたが

そういうことではなく、線で不幸を感じます。

そんな不幸が私の人生にはつきまとっているのですが

彼らは敵じゃないのだと頭の奥で誰かが言っているような気がします。

 

欲を言えば作家になりたいのです。

夢を語れば小説を書きたいのです。

でも私は今の私は時間があるのに何も書けません。

私の人生は宝くじを買わずに「当たらないかなあ」とか思っている

そんな感じがします。宝くじ当たりたい。

 

同じ年くらいの若い人たちが

クリエイターとして音楽や映画やデザインや漫画やアニメやなにやら

いろいろいろいろいろいい作品を作っています。

それを目の当たりにすると

私はまた「おいて行かれた」という気持ちになります。

 

美しい人生を歩んだ人にいい作品ができるものか

私の持つ不幸こそが武器なのだ。

そういう私のことばは負け惜しみじみています。

 

美しい人生を歩んだ人の描く物語は

美しい人生を歩んだ人が描いた物語になって

それはそれで人に愛されるものになることでしょう。

 

でも私の人生はそうじゃない。

美しくないべちょべちょの砂場のような人生だから

不幸にまみれた薄汚い人生なのだから

お前はその不幸を振りかざして

戦っていくしかないのだと、誰かの声がした気がします。

 

あああああ。

 

よし、カレー作る。