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ほも、26歳。

ほも。26歳。ダメ人間。

狂気と折り合いをつける

政治と宗教と野球の話はしちゃいけない。

 

いろんな思想があるので軽い気持ちで話題にしてしまうと、相手がまさかまさかの論を振りかざしてくることにもなりかねないので気をつけなさいという、昔からおじさんがよく言っている言葉だ。

 

私は単純に野球も政治も宗教もわからないので話題に参加しないようにしているが、年齢を重ねていくとなかなか避けて通れない時もある。

 

とくに宗教の話は、触れてはいけないというくらいのタブーであると

それが日本全国の常識であると私は常々思っていたのだが

そういうわけでもないのだと最近思い知らされた。

 

仲のいい友達が、某宗教をのことを勉強できるナイトというものに行ったらしい。

その話を聞いた私は、正直サッと引いてしまった。

そういった場は宗教というものにドはまりした人たちが行くものだと思い込んでいたので、もしかして今まで仲良くしていた彼が宗教にどっぷり浸かっていたのか? と考えると思わずゾッとしてしまったのだった。

 

しかし彼はそういった宗教に入りたいということではなく

実際彼らはどんな人たちなんだろう?という単純な興味で

そこに行ったというのだ。

結果的に彼は普段聞くことができない宗教団体の関係者たちの本音を聞くという

貴重な経験をして満足そうだった。

 

私は、宗教というものが苦手だ。

何か一つのものを崇めてただひたすらに信じ込むということは狂気だ。自分のために神様があるという考え方は傲慢だ。

それに彼らは祈りを大切にし、努力を蔑ろにする。

努力をし、それに見合った結果を得た人たちに向かって

「神様にお祈りしたおかげね」などと言う人がいるのはどうなんだろう。

 

とかいう文句をその友達とまた別の友達にしたのだが

彼らはう~んといったような顔をして

「でも本当に辛い人がそれに支えられてるんならいいんじゃない?」と言った。

 

そこで改めて私は心底自分が現実に向き合うのが嫌いなんだなぁと気付かされた。

政治と宗教と野球。これでもかというほどの「現実」が詰まった話を

私は意識的に避けてきた。アニメや小説や映画が好きなのもそれが影響していると思う。

でも、そんな現実たちと向き合ってきた人は

自然に狂気と向き合っている。

漂ってくる狂気に折り合いをつけている。

 

現実が嫌いな私は、何も知らずに

極端な論を振りかざす化け物になってしまった。

 

現実は、狂気だ。

 

それを肌で感じて、無意識に寄り添う方法を

私以外の人たちは知っている。

 

私は、何も知らない。